タイヘイ・マーキュリー 
新人歌手編


戦後 復活したタイヘイ・マーキュリーの所属歌手のうち 同社から新人歌手としてデビューし
活躍した歌手を レーベルで紹介しながら掲載してみました

  戦後のタイヘイで専属新人歌手第1号だったのが
  この藤島桓夫! 昭和25年6月に「あゝ東京へ汽車は行く」
  と言う曲でデビューし その後 「初めて来た港」「かえりの港」
  「また来た港」といった港シリーズがヒット

  このレコードは 昭和32年4月に発売され大ヒットとなった
  「お月さん今晩は」 この曲は 星幸男こと遠藤実が
  「これでダメだったら音楽の道を諦めよう」と最後の決意で
  書いた一曲だそうで それが大ヒットとなり遠藤実の人生を
  左右した記念すべき一曲

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  昭和27年6月 タイヘイから「伊豆の十三夜」という曲で
  デビューし “アッ” と言う間にマーキュリーの看板歌手となった
  野村雪子! しかし人気絶頂だった昭和30年の春
  マーキュリーとは比べものにならないほどの契約金によって
  ビクターに引き抜かれてしまいました

  このレコードは 昭和28年10月に発売された
  「異人屋敷の夢の花」 当時の時代劇映画の中で
  お姫様が歌ってるような印象のとても素晴らしいアレンジです
  さすがは飯田景応! 片面は東海林太郎の「ジャワ旅愁」

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  デビューは 昭和29年8月に発売された東海林太郎の
  「泪の数寄屋橋」のB面で「その人の名は知らない」という
  曲でした こちらは 昭和
31年12月に発売された彼女の
  5曲目となる一枚で「待ってゝね」という曲です 少し
  甘ったるい感じの歌声が印象的で魅力的な歌手です

  奄美大島の出身で 本名を尚樹(しょうじゅ)みち子と言い
  この姓を「なおき」と訓読みに読み替えて「直木」と名付け
  られたのだそうです 同社の作曲家 島田逸平の奥さんで
  若くして病死されたのだとか 片面は瀬川伸の「夜霧の岬」

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  昭和29年8月に「櫓かこんで」という曲でデビューした由利章
  でしゃばらず それでいて心地よく響くバリトンが魅力で
  デビュー曲では 喜代丸、矢代一恵と共演したのをはじめ
  青葉笙子と歌った「からかっちゃ嫌よ」や紅香と歌った
  「さくらかっぽれ」 西田佐智子とは「手拍子揃えて」など
  多くの歌手とデュエットで歌っています

  昭和33年の暮れに 名前を三島武雄に変えヒットを願いますが
  大ヒットは生まれませんでした しかしマーキュリーに於いては
  忘れられない存在感のある歌手の一人です
                               
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  ビクターへと移籍してしまった野村雪子の後を担って
  昭和30年7月 「宵待ワルツ」「マドロス娘」の
  2曲A・B面でデビューした 我らのお恵ちゃんです

  期待に答えて「十九の浮草」「鳴門ちどり」など
  次々とヒットを飛ばし 昭和32年6月発売の この曲
  「未練の波止場」のヒットによって その人気を不動のものに
  しました その後 発売された「だから云ったじゃないの」の
  冒頭のセリフ「あんた 泣いてんのね・・・。」は
  当時の流行語にもなる大ヒットとなりました

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  大阪の「エコー音楽学院」で声楽を学び  その後
  昭和30年に日本マーキュリーに入社し 翌年の
  昭和31年1月 「泣いて別れようぜ」でデビューした
  丹波篠山出身の佐々木潤

  昭和32年1月に発売された この「アカシヤの街よさようなら」は
  彼の持ち味を余す所無く発揮させた “汽車もの” の最高傑作と
  言っても過言ではないでしょう 飯田景応の編曲も
  さることながら 軽やかな佐々木潤の歌声がより一層
  この作品を盛り上げています

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  昭和22年に 浪曲師 華井新に入門し華井満と名乗り
  後に華井新十郎という名で活躍していましたが
  昭和31年に 岸日出夫と言う名で「内緒で御座る」という
  曲を引っさげてマーキュリーから歌手デビューしました
  浪曲で鍛えた独特の声と節回しが人気で 後に
  真山一郎と改名します

  このレコードは 昭和34年6月発売の
  「マドロスさんにも夢がある」
  片面も同じく 真山一郎で「大地の流れ星」

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  昭和31年6月 関西浪曲界の大看板だった芙蓉軒麗花が
  歌った歌謡浪曲「ろうきょく炭坑節」が関西からヒットし
  曲の中の囃し文句「テケッツノパァ」は当時の流行語にも
  なりました その後 「浪曲ラッパ節」「ろうきょく草津節」など
  歌謡浪曲という分野で人気を博しました

  「ろうきょく炭坑節」の作詞をしている 明石寿恵吉は彼女の夫で
  娘の芙蓉軒愛花も 昭和32年10月 母 麗花の歌う
  「利根の渡し守」というレコードのB面「出雲むすめ」という曲で
  マーキュリーからデビューをしています

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  昭和31年9月 「伊那の恋唄」と言う曲で マーキュリーから
  デビューした西田佐智子! しかし 昭和33年には
  コロムビアによって引き抜かれ 浪花けい子の名で
  再デビューしますが 翌年の昭和34年 今度はポリドールに
  移籍して西田佐知子の名で「夜が切ない」という曲を
  引っさげて再登場! そして 翌年の昭和35年4月に出した
  「アカシヤの雨がやむとき」が大ヒットとなりました

  このレコードは 昭和32年2月にマーキュリーから発売された
  「てれつく踊り」 片面は藤島桓夫で「花まつり男道中」

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  昭和32年3月 民謡調の歌謡曲「恋と坊さん」と言う曲で
  デビューした大島千鶴は 兵庫県加東郡社町(現、加東市社)の
  出身で ポリドールの専属歌手で後に中学校の音楽教師となり
  作曲家としても活躍した谷垣譲に師事して発声を学び その後
  隣の西脇市で開かれたのど自慢大会で優勝したのが切っ掛けで
  マーキュリーの専属歌手となりました 退社後は 映画説明の
  第一人者泉詩郎の率いる楽団の歌手としても活躍しました

  このレコードは 昭和32年6月にマーキュリーから発売された
  「ぱっと出たちょっと出た」 片面も大島千鶴で「恋と女」

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  日本マーキュリーに於いて 芙蓉軒麗花と並ぶ女流浪曲師の
  ひとりがこの富士月の栄! 滑稽な節回しの芙蓉軒麗花とは
  対照的に正統派の浪曲師として活躍しました

  このレコードは 昭和34年7月にマーキュリーから発売された
  「花嫁カッポレ」です 彼女のデビュー曲でもあるこの曲は
  同年の4月にご成婚をされた 明仁親王殿下と美智子妃殿下
  (現、上皇ご夫妻)のお二人を祝って作られた曲です
  片面は同じく 富士月の栄で「月の栄さのさ」

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