タイヘイ・マーキュリー 移籍歌手編
戦後 復活したタイヘイ・マーキュリーの所属歌手のうち 他社で活躍の後 同社に移籍して
活躍した歌手を レーベルで紹介しながら掲載してみました
キング時代には 目だったヒット曲が無かった瀬川伸 しかしタイヘイ・マーキュリーに移籍してからは「上州鴉」が ヒットし これに気を良くして「甲州鴉」「遠州鴉」「天竜鴉」 と 一連の「鴉シリーズ」を出し「港神戸のマドロスさん」など マドロス物も次々とヒットしました このレコードも そんな鴉シリーズの一つで「母恋鴉」 片面は マドロス物で「港シスコのマドロスさん」 発売されたのは 昭和29年1月です ご存知でしょうが 娘は演歌歌手 瀬川瑛子 |
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昭和9年にコロムビアから「こころ意気」「恋はひとすじ」と いう2曲カップリング盤でデビューし 翌 昭和10年9月に 松平晃とのデュエットで発売された「夕日は落ちて」で ヒットを飛ばした 美人芸者歌手の豆千代姉さん! 戦後は タイヘイ・マーキュリーの専属となり 日本調の曲から 「二上りマンボ」のようなリズム歌謡まで器用にこなし タイヘイ・マーキュリーにもたくさんの曲を残しました このレコードは 昭和31年5月に発売された「ヒュルヒュル節」 |
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ポリドールで活躍の後 発足間もないタイヘイ・マーキュリーに 移籍をしたベテラン歌手の青葉笙子 ここでも たくさんの 曲を残しましたが 昭和31年6月に同社から発売された 鈴村一郎との共演「ひょっとこ踊り」が現役最後の曲となりました このレコードは 昭和29年9月に出た「泪の国境」です 作編曲は戦後タイヘイの第一号作家であり マーキュリーにて 多くの作品を手がけた島田逸平! 瀬川伸の「酒場シャンソン」とのカップリング! |
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昭和28年9月 マーキュリーの歌謡曲盤として 最初に発売された記念すべき 第一号は キングから 移籍したばかりの東海林太郎でした 曲は「江戸の花道」 片面は青葉笙子の「涙のぼたん刷毛」 マーキュリーでの東海林太郎には “これ” といった大ヒットは ありませんでしたが かつてポリドールで共に活躍した 青葉笙子との共演による「金比羅満帆」や東海林太郎に しては珍しい軽快なサンバの曲「わたしのリモン」など バラエィーに富んだ作品をたくさん残しました |
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岡晴夫が 昭和29年にキングからマーキュリーに移籍して 最初に出したレコードが「途中下車」と「夢のフランス航路」 の2曲がカップリングされた このレコード! 岡晴夫は他の歌手と自分の歌が同じレコードのA・B面に |
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昭和29年に テイチクからマーキュリーに移り 名前を 八志摩亀生に変え「ルンバおてもやん」という曲で再登場した 鈴村一郎! 「魚河岸の兄ちゃん」「大相撲ジャズ場所」など ちょっとコミカルな感じの曲を中心に7曲を発売しました その後 昭和31年 名前を元の鈴村一郎に戻します このレコードは その昭和31年5月に発売された「御勘弁」 片面は 佐々木潤の唄で「木曾の渡り鳥」です |
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昭和25年にビクターから「青春エレジー」という曲で デビューをした西村正美 昭和29年にマーキュリーへ移籍し その年の12月に「純情やくざ」という曲で再スタートをしました このレコードは 昭和30年11月に発売されたマドロス物で |
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昭和23年に ビクターから中村耕造とのデュエット 「異国の丘」で大ヒットを飛ばした竹山逸郎でしたが 昭和25年に師であった作曲家の東辰三が亡くなってからは “これッ” といったヒットが出ず その後ビクターを離れて テイチク 〜 キングと渡り歩き 昭和30年3月に 「熱い涙を流そうよ」という曲でマーキュリーから再出発しました このレコードは 昭和30年4月に発売された2曲目の 「恋は無情」という曲で 片面は 藤島桓夫の「俺は船乗り」 |
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昭和22年に ビクターから出した「港が見える丘」が大ヒットし その後 テイチクへ移籍し そしてキングへ・・・。 やがて 昭和30年 竹山逸郎と共に仲良くマーキュリーに移籍し 「お別れしましょう」と言う曲で再スタートを切った 平野愛子 このレコードは 昭和31年2月に発売された「あきらめて」と |
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昭和34年 既に沈没し始めていた日本マーキュリーに 救世主としてテイチクから移籍してきたバタヤンでしたが “これッ” というヒット曲には恵まれず とうとう会社は沈没 しかし バタヤンは自力で泳ぎ切って その後 また元の テイチクに泳ぎ着き 昭和37年に「島育ち」の大ヒットで 甦りました このレコードは 昭和34年6月に移籍第一号として発売 された「三日坊主」いう曲です 片面も同じく田端義夫で 「伊豆の子守唄」 発売曲一覧 |