日本ビクター

昭和2年9月13日 米国ビクターの全額出資(200万円)により「日本ビクター蓄音器株式会社」として
横浜市中区中村町にあった旧フォードの組立工場を借り受けて本社仮工場とて創業を開始しました

昭和3年2月1日には 国産プレスによる第一回の洋楽レコードが発売され この中には 藤原義江が
アメリカで吹込んだ「荒城の月」「沖の鷗」「出船の港」「出船」などの日本歌曲も含まれていました
自社吹込みによる第一回邦楽レコードが発売されたのは 昭和3年4月1日で この時発売された
佐藤千夜子の「波浮の港」が初の大ヒットとなりました その後 太平洋戦争の激化により
昭和18年には 軍の管理工場となり 社名も「日本音響株式会社」となりますが 戦争が終わり
昭和20年12月29日に「日本ビクター株式会社」と改称をします

戦争で横浜工場が焼失してしまい 戦後しばらくは 焼け残った原盤を基に日本コロムビアに
プレスを依頼してレコード製作を再開しますが 昭和22年3月には 自社製作を再開して
戦後第一回目となる新譜レコードを発売し この時 発売された平野愛子の「港が見える丘」が
戦後第一号のヒット曲となりました

ビクターレコード
黒盤(邦楽)

ビクターレコード
赤盤(洋楽・歌曲)

ビクタージュニアレコード
昭和8年より発売

スターレコード
昭和12年より発売

スターレコード
見本盤

ビクターレコード
日本音響

ビクターレコード
戦後盤

 

 



昭和6年12月から発売をはじめた 33 1/3回転の「ビクター長時間レコード」です


ビクター長時間レコード
金レーベル

ビクター長時間レコード
銀レーベル

ビクター長時間レコード
白レーベル(宣伝盤)




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