特許レコード製作所

 

明治42年 酒井欽三によって 大阪 心斎橋に「酒井公声堂」が設立されます 始めは輸入盤の販売を
していましたが 大正初期くらいから自社盤の製作に乗り出し 東京蓄音器にプレスを委託し
「酒井公声堂 製作」 とレーベルに記して発売しました 大正10年頃からは自社レーベルの
「蝶印 肉声レコード」の名で 主に小型の7吋盤などを製作していましたが 大正12年末を最後に製作を
やめてしまいます ところが大正14年に突然 尼崎市南竹谷町に「特許レコード製作所」を新たに設立し
「蝶印バタフライレコード」「金鳥印特許レコード」の名で小型の7吋盤や8吋盤を製作をはじめました
ここのレコードの特徴は ボール紙を芯にしてそれに樹脂を塗って作るボール紙製のレコードで
「踏んでも 叩いても壊れない」と言うのが宣伝文句でした

その他 「はがきレコード」「団扇レコード」と言う変ったレコードも発売しています

バタフライレコード
(蝶印肉声レコード)

バタフライレコード

バタフライレコード

金鳥印 特許レコード

金鳥レコード

バタフライレコード

ポケットレコード
8吋盤

タカシマヤレコード
委託盤

ヤマトレコード
個人吹込盤

「タカシマヤレコード」は コッカレコードなどでも委託製作しています

 


日本児童レコード製作所

 

昭和10年7月21日 特許レコード製作所は買収され「日本児童レコード製作所」となり 新しい代表者に
中村英一 支配人に 三浦右膳なる人物に代わりますが その後 いつ頃 解散したのかはハッキリ
わかっていません 解散後 原盤は ショーチクレコードスタヂオ、福永レコードプロダクション(FRP)
コッカレコード、などに譲渡されました

日本児童レコード

レーベルには「NIPPON JIDO RECORD MFG.」と記されていますが まったく同じ
デザインのレーベルで 初期のものには「TOKKYO RECORD MFG.」と記されています

 

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