蓄音器・レコード業界関係者一覧
このページは 昭和15年発行の「レコード音楽技芸家銘鑑」を基に作成しています
伊藤彌太郎 | 伊藤楽器店を創設。 東京蓄音器商組合の組合長などを歴任。 |
植野良吉 |
明治37年 大阪四ッ橋にユニオン商会を創設。 昭和7年には 二代目 良吉によって継承され ユニオン蓄音器、ユニオン針などを発売。 |
内田良雄 |
昭和14年9月 藤原楽器店のあとを引き受け 中州屋蓄音器店を創設。明治28年生まれ。 大正3年 日東蓄音器株式会社九州営業所に入社し その後日東と太平が合併するのを期に退社。 |
江守清樹郎 |
明治33年11月25日 福井県生まれ。 昭和2年 日活に入社して 昭和9年に退社し 一時 吉本興行に 入社しますが 再び日活に復社の後 昭和12年に帝国蓄音器株式会社に入り 取締役・総務となる。 |
太田伊三郎 |
大正13年11月 日本トランス蓄音器商会を創設。 明治28年 滋賀県生まれ。 トランス蓄音器の発売のほか ラジオの製作もする。 |
荻原 喬 | 明治42年7月27日生まれ。 昭和10年3月 東京蓄音器商組合に入り 雑誌「蓄音器時報」 の編集に従事。 |
片岸玄次郎 |
ショーチクレコードスタヂオ社長。 明治9年 京都府笠置町生まれ。 16歳で大阪の足立蓄音器店に入り 21歳の時 独立してミヤコ蓄音器部を創設 これが昭和レコード製作所となり 昭和6年10月 新工場を設置 してショーチクレコードスタヂオと改称。 |
北野利助 |
大正11年11月 大阪阿倍野橋に 快声堂を創設。 明治22年 大阪生まれ。大正14年には 天王寺南堀河 町で蓄音器の製作卸を始め ミカド、五十鈴、西郷と言った名の蓄音器を発売する。 東京と博多にも支店を置いた。 |
紀 章逸 |
大正4年4月 九州小倉市に 日蓄商会を創設。 明治17年12月28日生まれ。明治44年2月 株式会社 日本蓄音器商会に入社し 長崎出張所主任、大分出張所主任などを歴任。 |
木村脇太郎 |
明治40年 大阪新町通りに サカエ商会を創設。 明治8年 愛知県生まれ。大正11年には 心斎橋北詰に 進出。 大阪蓄音器商組合の創設にあたり 推されて組合長となる。 |
久保道彦 |
日本蓄音器商会が設置した神戸本町支店を継承し 合名会社 神戸日蓄商会を創設。 日蓄商品などを販売した。 |
小西孝次 |
大正8年 出羽屋楽器店を創設。 明治24年3月1日 山形県鶴岡市生まれ。 東京蓄音器商組合の7代目組合長、全国蓄音器商組合連合会の会長などを歴任。 |
小林義夫 | 大正2年 乙女堂蓄音器店を創設。 明治25年3月31日 長野県生まれ。 |
斎藤隆吉 | 大正11年9月15日 楽堂蓄音器店を創設。 明治26年10月22日生まれ。 |
佐野小太郎 | 大正15年 佐野蓄音器製作所を創設。 明治23年 和歌山生まれ。 |
志村二郎 |
明治31年7月7日 山梨県生まれ。 日蓄のセールスマンとして活躍の後 昭和15年1月 東京田端の オーゴンレコード跡地を改造して ゼーオーレコード株式会社を創設し社長となる。 |
新 清次郎 |
大正15年 蓄音器楽器店 新声社を創設。 明治13年1月10日生まれ。東京音楽学校師範科の出身で 音楽教師をしていた。 「新編唱歌教授法」 「中等楽典教科書」 などの著書あり。 |
鈴木幾三郎 | ポリドール蓄音器株式会社の創設以来 専務取締役として活躍し 阿南正茂社長の死後 二代目社長となる。 |
鈴木準次郎 | 大正9年11月20日 蓄音器店エヌエス堂を創設。 明治19年8月4日生まれ。 |
須見義文 | 大正7年10月 東京に スミ・チクオンキ商会を創設。 明治21年12月1日徳島県生まれ。 |
曽根昌忠 | 大正13年 曽根製作所を創設。 明治25年 奈良県生まれ。 |
高橋 稔 |
合名会社 大五商店を創設。 明治33年 大阪生まれ。 15年間 日蓄で仕事をしたあと独立し 蓄音器と レコードの通信販売で成功を修めた。 |
田中徳太郎 |
大正5年 田中蓄音器商会を創設。 明治23年 香川県観音寺町生まれ。 富士山印、カメレオンと言った針を発売。 |
田中祥弘 |
合名会社 養老堂蓄音器店浅草支店長。 明治36年10月13日 東京日本橋生まれ。 新聞記者を経て この業界へ入る。 邦楽レコードの批評家としても名高かった。 |
田中錬一 |
大正10年3月 合資会社 門司日蓄商会を創設。 明治44年3月1日 株式会社日本蓄音器商会に入社し 門司出張所主任、名古屋支店の支店長などを歴任。 |
田那辺安彦 | 東京音楽学校で学んだ後 日蓄に入社し 日本蓄音器商会文芸部長、オデオンレコード会社文芸部長、パーロホンレコード広告部長、ラッキーレコード文芸部長などを経て 大日本蓄音器株式会社東京営業所長となる。 |
土屋 明 | 大正11年3月 日蓄土屋蓄音器商会を創設。 九州における蓄音器商の老舗。 |
土肥徳三郎 | 大正11年9月1日 星光堂蓄音器店を創設。 明治19年7月9日生まれ。 |
中江宗次郎 |
明治43年 大阪の南海難波駅前に 中江鬼楽堂を創設。 明治17年5月26日滋賀県生まれ。 昭和5年 南区大宝寺西に店舗を移す。 アルマ蓄針を発売。 |
中田由松 | 大正13年4月 合名会社 ナカタ商会を創設。 明治24年5月3日 西宮市生まれ。 |
中西保次郎 |
明治40年 父 中西熊太郎の創設した中西商会を 昭和9年に継承し社長となる。 明治37年1月18日生まれ。 東京にも支店を置き 名古屋、大阪に工場を設ける。 |
中森熊太郎 |
酒井公声堂株式会社社長。 明治32年 三重県生まれ。 明治42年 酒井公声堂の創業者 酒井欽三に 就き その後 一切の経営を継承し フアスト号蓄音器及びラジオの販売なども始め 昭和10年5月には 酒井公声堂蓄音器株式会社となる。 |
中山喜源治 |
明治42年 株式会社 日本蓄音器商会の前身である日本蓄音器会社に入社し日蓄東京支店長などを歴任。 大正12年に辞任し その後 東京浅草の駒形に中山蓄音器店を創設。 東京蓄音器商組合の組合長 全国蓄音器商組合連合会の会長などを歴任。 |
中山熊吉 | コッカレコード合資会社社長。 明治14年12月 奈良県生まれ。昭和4年 大阪の豊中に 初め国家レコード 製作所を設立し 主に児童向けの5インチ盤や6インチ盤を製造。 その後 10インチ盤も製作。 |
南口重太郎 |
昭和6年2月 吉川島次を代表として 合資会社 帝国蓄音器商会が設立され、昭和9年2月に 株式会社 として再発足するにあたり社長となる。 |
南方康哉 |
明治35年7月29日生まれ。 初め内外蓄音器株式会社に入社 その後 コロムビア関西文芸部長として 活躍の後 ゼーオーレコード株式会社の常務取締役兼技師長となる。 |
西田徳次郎 |
明治45年 西田精工舎を創設。 イングランド号と言う蓄音器を発売し人気を博す。 大阪蓄音器商組合の組合長などを歴任。 |
橋倉新五郎 |
大正元年 株式会社 十字堂蓄音器店を創設。 明治9年6月27日 長野県生まれ。 東京蓄音器商組合 三代目組合長、全国蓄音器商組合連合会の初代会長などを歴任。 |
長谷川卓郎 |
大正11年に大日本雄弁会講談社に入社。 人事係長、雑誌 「キング」 編集局長、会計部長などを歴任の後 野間清治社長の死後 常務取締役として未亡人を補佐しキングレコード代表となる。 |
松川参造 | 蓄音器店 カマタ堂を創設。 |
松田光真 |
太平蓄音器株式会社社長。 明治30年9月 神戸市生まれ。 昭和10年7月 日東レコードと合併し 大日本蓄音器株式会社の社長となる。 |
松永正雄 |
大正8年 合名会社 養老堂蓄音器店を創設。 浅草雷門、京浜デパート白木屋錦糸堀支店の3ヶ所に支店を 置く。 また フタミ蓄音器商会を設立してフタミレコードを発売。 |
松葉捨吉 | 大正7年 松葉製作所を創設。 明治24年 京都生まれ。 特に蓄音器のアームの製作に優れていた。 |
松村亀一 |
昭和4年 東京小石川に 合名会社 春日蓄音器商会を創設。 明治21年4月4日生まれ。 初め 三光堂に入社し合同蓄音器株式会社を経て独立。 |
武藤与市 | 明治42年3月 株式会社 日本蓄音器商会に入社
。 名古屋支店長、、大阪支店長などを経て 昭和15年2月には 常務取締役となる。全国蓄音器レコード製造協会の会長としても活躍。 |
村上宇吉 |
明治13年10月5日 長野県生まれ。 初め大阪で大蓄商店を開業していましたが 明治39年 東京に 東京大蓄商店を開業。 ナポレオン蓄音器、ナポレオン蓄針などを販売し 「蓄音器のデパート」 と称された。 |
村上与利平 | 初め 大阪蓄音器株式会社の外交員として入社し その後 神戸大蓄商店主人となる。 |
森 垣二郎 |
兵庫県城崎郡豊岡町生まれ。 大正3年 日本蓄音器商会に入社し その後 日蓄の文芸部長を経て 大正13年 内外蓄音器株式会社を創設し専務取締役社長となる。 |
安井友三郎 |
大正11年 安井ニッポン堂を創設。 明治20年7月4日 滋賀県土山町生まれ。 ペンギン、グローリー、シンガーと言った蓄音器を発売する。 |
山野政太郎 |
明治28年 東京の銀座に 株式会社 山野楽器店を創設。 明治11年3月12日富山市生まれ。 東京蓄音器商組合の組合長。 全国蓄音器商組合連合会の会長などを歴任。 |