王地山焼 「染付芙蓉手皿」


 

直径 20.8cm

 

王地山焼は丹波国篠山藩の御庭焼で その開窯は文政元年(1818年)頃と言われています
時の藩主だった青山忠裕(あおやまただやす)は 隣国の三田藩が文化11年(1810年)

京焼の名工欽古堂亀佑(きんこどうかめすけ)
を招き 三田青磁の成功を治めたのを聞き
亀佑を指導者として 篠山に招き城下の東にある 王地山(おうじやま)
と言う 小高い丘陵地に
窯を築き この山の名を取って 「王地山焼」 と名づけ その工房を 「王地山陶器所」 と
呼び 明治2年(1869年)
に閉窯となるまでの約50年間に 数多くの作品を作り出しました
その作品は青磁、白磁、染付、赤絵と多岐にわたり ここにご紹介する染付などの図柄は
中国磁器の写しがほとんどで 芙蓉手写しや明染付写し、吉祥文や故事にちなんだ図柄が
多く残されています 特に 中国明代の染付を写したもののなかには 「大明成化年製」 や
「大明弘治年製」 「大明嘉靖年製」 「大明萬暦年製」 と入ったものが見られます
他にも 「王地山焼」 「王地山製」 「篠山製」 などと入ったものや 単に 「王地山」 「篠山」
と記されたものまで様々なのだそうです

 

             

左は裏面の写真です 中央には 「篠山」 の銘が入っています



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